生きることは変化すること。旅は変化を与えてくれる。
ここで言いたいことを一言にまとめると
ということです。
「どうして旅するの?」とよく聞かれる
僕がよく聞かれることの一つに、「どうしてよく旅をするの?」という質問があります。
聞かれて「理由なんて必要かな…?」とも正直思うんですが。
例えば、腹減っててメシがあったら、それ食べるじゃないですか。
それと同じで、旅するのも「行きたい場所や見たい景色があって、自分にはそれができる。だからやる」という以上でも以下でもない気がするんですよ。
そういう意味では、みんな何かやる時に、理由やら何やらにコダワリ過ぎてるな、という気もします。もっとシンプルでいい。
しかしまあ、せっかく聞かれるから、ということで考えてみると、理由らしいものもあるなと。
なので、それについても書いてみようと思います。理由はいくつかあるので、今回以外にも幾つか書くかもしれません。
そして、旅する理由の大きなものの一つが、冒頭で述べた「旅することは、生きることそのものだから」というものです。
「生きる」ことの定義
「生きる」とはどういうことなのか、僕はよく考えます。
もちろん答えのない禅問答なので、あまり時間をかけすぎないように気を付けています(笑)
僕が考える時にまず大切にするのは「言葉の定義」です。
本質を追求するために、あえて言葉という不完全なフォーマットで「定義」をとことん考えてみる。
これが、僕の「自分の頭で考える」スタイルです。
あなたはどう思いますか?「生きる」ということの定義。
「しっかり働いてメシを食うこと」
「息をして生命活動を維持すること」
「人とのつながりを求めること」
などなど、色んな答えがあると思います。もちろん正しい答えなどはないので、自由に考えていいと思います。
「生きる」とは「自発的に変わる」こと。
僕にとっての「生きる」ことの定義は「自発的に変わる」ということです。
自分から、内側から、変化する、ということが「生きる」。
人間含む全ての生き物は、生きているうちは常に”内側から”変化しています。
具体的には、細胞分裂による代謝、成長、そして老化…と。
肉体はもちろんですが、精神的にも常に「自ら」変化しています。
代謝にも食事が必要だったり、精神的変化にもインプットが必要なように、外からの要因もあるんですが、
大事なのは”自発的に”変わるということ。
自発的な変化の核の部分に、「生命力」や「魂」のような、「生きることの本質」があると思っているのです。
これが、僕の考える「生きる」ことの定義。
そして、自発的な変化が完全に停止することが「死」です。
死んだ後にも、肉体が腐って変化するじゃない、という意見もありますが、
それは、バクテリアなどによる「外部要因による変化」なので、自発的な代謝、つまり「内側からの変化」は止まってしまってます。
魂とか精神に関しては…?どっかに行くんですかね。
まだ死んだことが無いんでちょっとわかりません。楽しみにしときます(笑)
旅は「変化」をもたらしてくれる
ちょっと哲学的な所から話が始まりましたが、
要は「僕はより変化するために旅する」ということです。
言うまでもなく、旅は「変化」を人に与えてくれます。
住処、食べ物、行動、出会う人…という環境が変わって、それに伴う沢山のインプットを通して、
肉体や精神は、内側からどんどん変化していきます。
もちろん僕は、何もない日常からも多くを学べるし、それに感動することもできます。
しかしやはり、新しい街や人や自然を見て、刺激を受けとることで、自らの変化を促すことが、僕に「生」を強く実感させてくれるのです。
まとめ
そんなワケで、僕は旅が大好きなわけです。
はじめて行く街を見上げながら、コーラをガブガブと飲むと(なぜかいつもコーラです笑)、
「ああ、生きてんなー」って感じがします(笑)
何気ない日常から感じ、学ぶことも大いに大事ですが、まだ若くて元気なうちは、こういう刺激や変化を大いに受け入れて、生を謳歌しようと思っています。
というわけで、
僕が旅をするのは、常に変化するため。
僕にとって変化とは生きることそのもので、
旅はその変化を与えてくれるから。
という話でした。
明日も、よい旅と、よい人生を。
僕が旅をするのは、常に変化するため。
僕にとって変化とは生きることそのもので、
旅はその変化を与えてくれるから。