こんにちは、キラです。今日は日本で起こったモヤっとする話。
僕が言いたい結論から先に言うと
という感じです。
あなたが知らない間に入っている「宗教」
日本人、ひいては資本主義社会に生きる人間のほとんどが信仰している、ある「宗教」があります。
僕もアナタも、ほぼ自覚せず信仰しています。
この宗教を、「消費教」と僕は呼んでいます。
「消費教」の教義とは
この宗教の教義は極めてシンプルで、
あなたにはあらゆるものが不足している。
もっと買え。もっと消費しろ。あのタレントのようになるんだ。
この教義のもと、Photoshopで肌を綺麗に加工したタレントをイコン(聖像)とし、広告会社の使徒が布教を行う、と。
弱く哀れな信者の中には、お金を通して時間、つまりは人生をほとんど差し出してしまう人もいます。
電通の「はあちゅうセクハラ騒動」
先日、元電通社員の岸氏のセクハラ・パワハラを、同じく元電通社員のはあちゅう氏が暴露しましした。
はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」
はあちゅう 公式ブログ – BuzzFeedの記事について
それに対し、岸氏は謝罪文を出しています。
Buzz Feed様からの取材について
しかしはあちゅう氏もまた、過去の「童貞いじり」や「かわいく奢られる」趣旨の言葉を、非難されたりもしています。
いやはや、騒がしいこと。
「消費教」の病理
セクハラ問題自体が最悪なのは言うまでもないことですが、その根っこの部分に、今の社会の病理があるように、僕には見えました。
広告会社というのは、人々に「欠乏」を自覚させ「消費」を促す為にあるから、そこの元社員が男女共にゴリゴリのマッチョ思想に傾いてしまうのも、ある意味では自然と言える気がします。
「消費」のみが善しとされる世界では、童貞や売れ残りは人格障害者で、作れるカワイイは正義となります。
健全な欠乏と消費は必要だけど…
バランスの取れた「欠乏」は、健全なハングリー精神でもあり、個人と社会の成長を促すものでもあります。
そしてもちろん、仕事をして、お金を稼ぐ人々は、もれなくこの構造に組み込まれています。
けれど、それがどうしようもなく歪み、固定化して、現実と乖離しすぎた時、個人も社会も病んでしまう。
今回のセクハラ騒動の根本も、現代日本の病巣も、このあたりにあるように思えてならなりません。
変化し続ける未来に希望を持つ一方で、人間のしょーもなくて変わらない部分を思い、自分も間違いなくその中に組み込まれていることにウンザリすることもありますね。
セクハラ・パワハラ問題からはやや大きな話かもしれませんが、とにかく僕が感じたことです。
まとめ
何がいいたいのかというと、「モノ買うな」とかじゃなく、
「無自覚に飲み込まれるな、自分の価値観を持て」ということ。
四角い建物の中で、四角い画面でキレイな顔ばっか見てると、バカになる。外に出ましょう。
年末年始は、四角い画面から離れたいw
長文読んでくださり、感謝します。
それでは明日も、よい旅とよい人生を。