こんにちは、キラです。
先日、こんな記事を書きました。
タダで人の時間を奪う無能が嫌い。あるいは時間とお金の価値について思うこと
僕の観測範囲内メインの話ではありますが、
やっぱり、貧しい(=経済的/時間的/社会的リソースに乏しい)人ほど、人の時間(とその他リソース)を奪ったり、無駄にしがち…というのがあるなと感じているんですよ。
そして、その「人から奪う」ことが当たり前になっている考え方や生き方が、彼/彼女らの人生をさらに貧しくしてしまっている…と。
で。どうしてそんな負のスパイラルが起こるのか?と考えました。
つまり、「なぜ、貧しい人ほど人の時間をタダで奪いたがり、しかも約束をすっぽかしたりタスクをこなせないのか?」
を真剣に考えてみたわけです。
自分の時給が低すぎると、人の時給を想像できない
「なぜ、貧しい人ほど人の時間をタダで奪いたがり、しかも約束をすっぽかしたりタスクをこなせないのか?」
に対しての答えは、めちゃキツい書き方になりますが、
ぶっちゃけ、その人らの「時給が低すぎる」ことが原因なんじゃないかと。
恐らくは、自分自身の時給が低すぎると「価値が高い人の時間の価値」が想像できないので、それを自分の時間と同じように平気で浪費するのでは?と。
つまりは「俺の時間はタダ。だから人の時間もタダっしょ?だから俺の時間の浪費に付き合えよ〜」って感じなんじゃないかと。
で、その浪費の結果、時給の高いハイパフォーマーはその人の周りから消えるので、周りがほぼ時給ゼロの人間で固められ、「人の時間もタダ」という思考が強化されるわけです。
人の時間の価値は平等じゃない
これを読まれている聡明なあなたはすでにお気づきでしょうが、
人の時間の価値は平等じゃありません。
投資家ウォーレン・バフェット氏と昼食を食べる権利が5億円で落札されたのは有名な話ですが、
人の時間の価値は0(むしろマイナス)から、ウン億円単位までめちゃくちゃ差があるんですね。
それを、「人間の時間ってみんな平等っしょ!」と勘違いするからマズイと。
倫理的/人道的にはそうかもしれませんが、経済的な観点では人間の時間は平等じゃないわけです。
時間とは価値であり命
人の時間を無駄にする人には「時間は価値であり命」という思考がほぼ抜けてると言ってもいいかもしれません。
お金などのリソースは、使ってもまた稼げばいいだけなんですが、時間は戻ってきません。
そういう意味では「時は金なり」ではなく「時は金以上に重い」といえます。
僕は、「時間」や「食」に対する考えはほぼ「命」に対する考え方と直結してると考えているので、
ここの思想が違う人はすなわち命に関しての捉え方が違うので人生は一緒に過ごせないよね、と思ってます。
お金持ちになる(人と自分の)時間の使いかたは?
…という感じで、「時給が低く貧しい人ほど、人の時間も同じようにタダ同然で扱うのでさらに貧しくなる」という悲しいスパイラルの話をしましたが、
じゃあ、お金持ちになる(人と自分の)時間の使いかたはどんなふうなんだ?と。
要は、上記の逆をやればいいわけです。
①自分の時間の価値を上げる
②人の時間の価値も尊重する
基本的には、この2点でいいんじゃないかと。
自分の時間の価値を上げるには、
・スキルや経験値を上げる
・シンプルに稼ぐ額を上げる
などがありますが、コレ以外にも
・自分の時間を安売りしない
というのも大事かと。
つまり、ここでも「人の時間を奪う貧しい人とは関わるな」というのが有効になってくるわけです。
一方、人の時間を尊重するには
・専門家からその専門のアドバイスを聞く時はお金を払う
・人の時間を使う時は(話をあらかじめまとめたり共有したりして)その時間を最大限有効に使うように努める
などがいいのかなと。
昨今、会う直前にチャットなどで話す内容を共有も簡単にできるので、そういうマメな対応をデキる人は、やっぱり優秀だし豊かになるよね、と思うわけです。
まとめ
というわけで今回は
「貧しい人は、自分の時間の価値が低すぎるので人の時間も奪いがちになり、さらに自分を貧しくしていく」
一方で「豊かになるには①自分の時間の価値を上げる②人の時間の価値も尊重する、というのをちゃんとやればいい」
という趣旨の話でした。
時間とお金の話は、大切だし好きなので今後もよくすると思います。
それでは、今日はこのへんで。
明日も、良い人生とよい旅を!
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