もくじ
ミャンマーでの体験を漫画にしてみた
こんにちは、キラです。
いろんな国を旅していると、突然の出会いや、予想だにしない出来事が、沢山起こります。
そして、その一瞬の出会いや出来事が、ずっと心に残り続けることも。
今回は、そんな中のひとつ、「ミャンマーで出会ったハガキ売りの少女」の話をしたいと思います。
文章ではなく、ずっとやりたかった、「漫画」で描いてみました。
【旅漫画】ミャンマーで日本語を話す少女に出会って、教育について考えた話
学校へ行かずに働いて、マルチリンガルになったミャンマー人少女の話を漫画にしました。
日本の教育は、このままでいいのかな?
RTやご意見戴けると嬉しいです。https://t.co/c0tLq6lukn pic.twitter.com/yq3r2vwJg4— 吉良 コウ (@KOH_KIRA) 2017年7月28日
感想やご意見の他、シェアもいただけると嬉しいです。
それではどうぞ。
こんな感じ。
これ以来、僕は「教育」について考える時、いつもこの子のことを思い出すようになりました。
以下、補足も含めた内容を書いていきます。
黄金と祈りの国、ミャンマーへ
数年前、ミャンマーを訪れました。
タイ、マレーシア、ベトナム等と近いので、ザザーッと全部行ってみると、それぞれの国の特色も見えて楽しいですね。
ミャンマーに着いた時に最初に思ったのが「ばあちゃん家の匂いがする」でした(笑)
日本の夏に近い、高温多湿の気候で、色んな所に寺院があって線香を炊いてあるので、夏にばあちゃん家に来たような、安心する匂いがしたのです(笑)
(ちなみに、カンボジアは「カブトムシの匂い」、イギリスは「雨に濡れた石の匂い」だったりと、国ごとに匂いってありますね、なんとなく)
おもてなし大好きミャンマー
ミャンマーが、他アジア諸国の中で特徴的だな、と思ったのは、とにかく「人が親切」だということ。
「チェゴ村」という農村に行った時は、もてなされ過ぎて昼飯4回も食わされました(笑)
熱気と活気、そして優しさのある街を見て僕は、漫画&映画の「三丁目の夕日」を思い出していました。
「高度経済成長期前の日本って、こんな感じだったんだろうな。」と。知らんけど。
マーケットで声をかけられる
僕は、ある国を訪れたら必ずマーケット(市場)を訪れます。
それもできるだけ、現地の人も来ているマーケットへ。
現地に混ざって生活をしてみると、イロイロと見えることもあって、とても楽しいのです。
この日も、大きなマーケットへ来て、「スカーフがいっぱいあるなあ」なんて思いながら、
物色したり、値切り交渉したりしていました。
すると突然、後ろから、日本語で「コンニチハ!」と可愛い大きな声に呼び止められました。
日本語を話すハガキ売りの少女
振り返ると、小さな女の子。
くりくりの髪の毛に、くりくりの目。こんがり焼けた肌。年は6〜7歳くらい?
ニコニコしながら見上げて「ハガキをカッテ!」と、どストレートのセールストークをかましてきます。
市場のオッサンに「ヘイ、ブラザー」とか呼ばれても「うっせえお前誰じゃ」と無視しますが、
このくりくりガールは、可愛らしくてちょっと無視できません。
働きながらマルチリンガルに
驚きつつ、話しかけてみました。
こんな感じで、ちゃんと会話ができます。
日本語以外もできるのかなと思い、英語でも話してみます。
(なんでここで働いてるの?学校にはいってないの?)
(家族のために毎日働いてるの。学校にはいってない)
(英語もはなせるんだね!)
だいたいこんな感じで話してました。こりゃすごい。
この年齢で、ちょっとしたマルチリンガルです。
思わず、ハガキ買っちゃいました(笑)
座学ばかりで話せない日本人
こんな子を見るとやはり、日本人の語学力と比べてしまいます。
大抵の日本人は、中高で6年以上、人によってはそれ以上勉強しているのに、
道案内や挨拶でもビビってしまう程度の英会話力しかありません。
「アイキャントスピークイングリッシュ」とか言うとる場合ちゃうぞと。
というかそれ言っとる時点で英語話しとるんやから自信持てと。
「英語ができない」はウソ
僕は、個人的には、語学というのはスポーツと一緒で、身体で自然に覚えるモノだと思っています。
スポーツと一緒だとしたら、「サッカー全くできない」という人が居ないのと同様に、
「英語全くできない」という人も居ないワケです。
「そこまで得意じゃない」とか「完璧じゃない」というのはあっても、「全くできない」はウソ。
「Hey, how are you?」に「Good u?」って返せたら、上等。ちゃんと話せてます。
日本人がこうなったのは、座学による非実践的なやりかたで勉強し続けたせいかもしれません。
そして、そのコンプレックスから、さらに実践から遠のいて、さらに英語ができない、という悪循環に。
結果、こうなってます。シリコンバレーでエンジニアをしていた、上杉氏(@chibicode)のツイートより。
2016年のTOEFLのアジア国別平均点・偏差値ランキングを作りました。日本は
リーディング:アジア31か国中21位(偏差値46)
ライティング: 24位(偏差値41)
リスニング:27位(偏差値37)
スピーキング:最下位(偏差値27)
スピーキングは世界172か国中でも最下位 pic.twitter.com/FhqW0zmVY7— Shu Uesugi (@chibicode) 2017年7月2日
スピーキングがアジアで最下位。教育としては、明らかに失敗です。
生で見た「置いていかれる日本」
近年よく「日本はもはや先進国ではない。アジア諸国に置いていかれている」と聞きますが、
このとき僕は、「置いていかれる日本」を、数字やマクロの視点ではなく、生で見たような気がしました。
この女の子はきっと、生きていくために「自然に」学んだのでしょう。
自分の今日の売上で、家族の生活や、今日の晩御飯のオカズの数さえ変わるのかもしれません。
だから、言葉を自然に覚えるワケです。
皮肉なことに、学校に行かず働いているのが、明確な目的を持った実践教育になっていました。
しかも、彼女の働く姿には悲壮感などはなく、とても楽しそうにハガキを売り歩き、いろんな言葉でいろんな人と会話していました。
いやいやながら学校へ行って、居眠りしながら授業を聞いている日本の学生(僕自身もそうでした)との差を、イヤでも感じてしまいました。
教育ってなんだろう
これ以来、僕は、「これからの日本の教育のあり方」について、よく考えるようになりました。
そのときにはいつも、この少女のことを思い出します。
ミャンマーをはじめ、経済的に成長していて、活気のあるアジア諸国では、こういったことがよくあります。
教育的インフラが十分でなくても、人々が生きるために積極的に学び、
「もっといい生活したいね!」というシンプルなモチベーションで働いている、という感じ。
対して日本では、十分な教育インフラは整っているけど、実践的な教育をできていないのかもしれません。
日本は、ある程度の物質的な豊かさを経験した後、だんだんとそれを維持できなくなってきました。
現在では、人口減少や少子高齢化だけが進み、世界から見て、相対的にズルズルと貧しくなっています。
経済成長以外の目的や、物質以外の価値観を、なかなか見つけられないままなので、
「もっと頑張って働けばいい!」と、若い世代に労働をさせすぎて、結果、ブラック企業問題や過労死が起こります。
先月いとこが #過労死 したので漫画にしました。大手居酒屋チェーン店の勤務先で死にました。何をしても死んだ人は生き返らないけど
ただ、こういう事があったよって知って欲しかった。
どんな反応があるかわからなくて怖い。#過労自殺https://t.co/9II8U6MPoP pic.twitter.com/7WfiveRD0n
— いきなりテンジク@過労死なくす (@ikinariTenjiku) 2017年7月22日
僕が、ブログ制作などについて教えている、テンジクさん(@ikinaritenjiku)のツイートです。
教育の目的の見直しと、それに合わせた最適化を
様々な国を見て思うのは、「その国の持つ問題の根本、そしてその解決法はほとんど”教育”に行き着く」ということ。
ここで言いたいのは、「日本の座学は悪だ、学校をなくせ」というコトじゃありません。
「日本はそろそろ、教育の目的と方法を見直すべきでは」ということです。
多分、今の日本に必要なのは、教育インフラや設備などの「ハード」ではなく、教育の目的ややりかたなどの「ソフト」の見直しだと思います。
めまぐるしく変化する世界の中で、日本の教育の目的や方法は、戦後から変わっていません。これが最大の問題だ思うのです。
日本の教育の目的や方法を一言で書くなら
「戦中の軍隊教育の形式や思想を残しつつ、大企業で効率よく仕事をこなせる人材の育成を目指し、マスゲームやペーパーテストで管理を行う」
といった所でしょうか。
ただ、世界が変化してきているせいで、そのやり方では成長が出来ず、結果も出なくなってきているのが事実なのです。
教育だけに限らず、日本の問題点はとにかく「ソフトのアップデートが遅い」ことにある気がします。
分かりやすくいえば、PCの性能(ハード)は毎年上がっているのに、OS(ソフト)はWindows95で止まっているような。
一方で、シンガポールなどは
「国際化する社会の中で、テクノロジーや金融に特化して経済成長を目指す。優秀な人材は人種・国籍を問わず歓迎」
といった、明確な目的や方法で、結果を出しています。
僕の考える理想の教育などについては、また別記事で書いてみようと思うのですが、
「教育」について深く考えるきっかけになったのが、この出来事でした。
まとめ
そんなワケで、まとめると
「ミャンマーで出会った、日本語(その他多数言語)を話す少女を見て、教育について考えた話」
でした。
あなたは、どう感じましたか?
感想やご意見の他、シェアもしていただけると嬉しいです。
それでは明日も、よい人生とよい旅を。