僕が禅寺で修行してミニマリストになっていった話

ABOUTこの記事をかいた人

1988年生まれ。福岡・博多出身。
国立九州大学中退後、(株)WORLDiAを創業。WEB制作並びにWEB広告代理業を4年間行う。
熊本地震を期に、モノを捨てて世界一周の旅へ。旅をしながら、”世界を旅する1分動画”「TR1P(トリップ)」と、旅のブログ「Back Pack Hack(バックパックハック)」を運営。
現在も、「旅して創って稼ぐ」をモットーに、ドローンとカメラとPCをカバンに詰めて、旅を続ける。

この話を一文でまとめると

「禅寺で掃除してたらヒマだったので、『所有』の概念について考えてたらいろいろスッキリしたよ」

という話です。

 

座禅はいいねえ。リリンの生み出した文化の極みだよ。

禅寺でユルく修行。

僕は、2014年の正月から、日本に居るときは、博多の承天寺というお寺にちょこちょこ通っています。

もともと僕は、書道八段持ってたり空手黒帯持ってたりで日本文化式の瞑想が好きです。

また、瞑想による効果もしっかり感じていたので、座禅もしっかりやってみようと思いまして。2013年の暮れから色々調べて、2014年のお正月から早速お寺に通いだしました。

 

といっても、頭を剃って出家して…というガチな修行ではなく、毎週開催される「坐禅会」というものにちょこちょこ参加している、というくらいのユルいものです。

「坐禅会」とは、毎週木曜・日曜の早朝にお寺に集まって、お寺の掃除をした後に禅を組んで、終わったら皆で軽くお茶しながら談話しておしまい、というもの。

 

費用もかからなければ、来ることを強制されることもありません。

そのユルさも含めて好きで、ちょこちょこサボりつつ、長く通っています。

冬の朝の寺は寒い!!!!

上記の通り、「座禅会」では最初に、お寺の掃除から始まるわけです。

木造のお寺のあらゆる場所を、雑巾で水拭き。

 

基本、お寺の中では靴下を脱いで素足です。

これがまあ、冬の早朝の禅寺はクッソ寒い。

広くて冷えたお寺の床ですから、そりゃそーです。

実際、坐禅会の参加人数も、春や夏の休日がピークで、冬の平日なんて数えるほどしか人が来ません(笑)

そりゃそーです。さみいもの。

 

冬は参加者が少ないのに加え、20代の参加者はあまり居ないので僕は目立ちます。

掃除の時も、お寺のおばちゃんお姉さま達から怒られたりします。

「そこもっとちゃんと拭いて!」「その雑巾はそこに使っちゃダメ!」とか(笑)

 

僕もいっぱしの経営者。

それなりに忙しい中で、「俺はなんでわざわざ朝から人のお寺を(怒られたりしながらも自発的にw)掃除してんだ…?」なんて気持ちになったりします。

そんな気持ちに何か落とし所が欲しいのと、ひたすら単純作業の雑巾がけの中で、頭は自然と考えます。

 

この日僕が考えていたのは「所有」の概念についてでした。

そもそも「所有」とは何なのか?

この日僕は、「さっき僕は『人の』寺を掃除してる、と考えたけど、『人の』寺とはどういうことなんだろう?」と考えていました。

つまり、「所有」とは何なのか?について考えたワケです。

 

そういうこと考えてないと退屈でやってらんねえんだよ 掃除には、自然とそういうことを考えさせる力があると思います。雑巾がけもある種の瞑想です(真顔)。

 

きらこう
(雑巾がけしながら自問自答)

今日僕は、このお寺を使わせてもらってる、けど「人の寺を掃除してる」と感じたな…。

なんで「人の寺」と思ったんだ??

きらこう
それは僕が、この寺の権利も持ってなければ、維持のためのコストも払ってないし、勝手に入って昼寝とかできないからだな…。

 

きらこう
そうか、つまり「所有」とは、モノやコトに対する「義務と権利のセット」のことか。

コストを支払いアクセス権を得る、という義務と権利のセットが「所有」だ。

きらこう
僕は時々座禅が出来ればいいので、お寺全てを「所有」する必要は無いな。

時々座禅して、掃除もさせていただくくらいが丁度いい。

これと同じように考えれば、他のムダな所有からも随分自由になれるかもなあ。

 

とまあ、こんな感じのコトを考えていました。なんか小難しいな(笑)

「所有」とは「義務と権利のセット」のこと

そんな思考のプロセスの末に、所有とは、「義務と権利のセット」のことだな、ということに行き着きました。

つまり、そのモノやコトを保存したり持ち続けたりする「コスト」を支払いつつ、それを自由に使ったりする「アクセス権」有すること。これが「所有」だと。

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例えば、「自分の車を所有している」という場合は、ガソリン代や車検代、駐車場代を支払ったり、車を掃除したりする「コスト」を支払う一方で、

その車をいつでも自由に乗り回し、人にも「この車、俺のだよ!」と自慢したりすることができる、安定的な「アクセス権」を持つことができる、というわけです。

モノの「所有」には必ず「コスト」がかかる

これ、意外と皆気づいていないコトなのですが、モノの所有には必ず「コスト」がかかります。

 

月々の支払いが必要なものは言うまでもなく、買っておしまいというモノも、それを保管するための家の賃料を払っている、という意味で間接的にコストがかかっているのです。

そういう意味で、自分が「所有」しているモノ、コトには全て、得ている「権利」と支払う「義務」が発生しています。

欲しいのは「アクセス権」

そうなると、人が何かを所有するときに欲しいのは「アクセス権(自由に使う権利)」だな、と。

 

「初期費用も維持費も一切いらないし、掃除とかもしなくていいから、このスーパーカーずっと乗っていいよ!」
と言われたら、おそらく断る人はいないだろうと思います。

では、その「アクセス権」に注目すれば、何もかもを「所有」する必要は無いのかもしれない、と思ったのです。

自分の欲や価値観を見直そう

もちろんこれは、「全部捨てちゃおう!レンタルで済まそうぜ!ミニマリスト最高!!」みたいな話ではなく、

(こういう奴時々いるけどキモいよね)

 

「自分の持っている欲や価値観はどんなものだろう?これを所有することは、それに対してどういう影響を与えるんだろう?」

ということを見つめ直すといいよね、と言いたいワケです。

 

そして、自分の価値観にとってあまり重要ではないモノは、必ずしも「所有」する必要はない、ということを言いたいのです。

要は、自分が所有しているものをひとつずつ「義務と権利」で分類してみて、自分の価値観に合うように所有のバランスを最適化していく、と。

 

この気づきがきっかけで、禅寺での掃除の時間は「自分にとって必要なもの、好きなもの」について考える時間になりました。

きらこう
今、Aを所有してて維持費も月◯円も払ってるけど、必要かなあ。時々借りるとかで済ませたらどうなるかな
きらこう
Bは実際必要じゃないかもしれないけど、人に自慢すると気分がいいなあ。俺の欲ってこういうトコにもあるんだなあ
きらこう
Cを新しく買いたいけど、どうしようかなあ。どうしてこんなに欲しいのかな。Cのどういう所に惹かれてるのかな

 

みたいな感じで。この他にも

・Amazonを「モノを取り出すときにお金がかかる巨大な倉庫」と考えれば、不必要なモノは人に譲っても問題ない

・近所のコンビニを「ちょっと離れた場所にある巨大な冷蔵庫」と考えれば、冷蔵庫にモノを詰めすぎなくていい

なんてことも。ちょっと極端かな(笑)

 

ただ、こんな事をよく考えるようになった結果、色んな意味での無駄遣いが減り、可処分所得が増えました。昔の自分と比べて、相対的に少し豊かになりました。

何より、自分の持つ欲や価値観を深く観察することができるようになりました。ちょっとうれしい。

まとめ

まあそんな感じで「禅寺で掃除してたらヒマだったので、『所有』の概念について考えてたらいろいろスッキリしたよ」という話でした。

僕含め、大抵の人はいろんな物事を持ちすぎ抱えすぎだと思うので、定期的に見直したいもんです。

 

P.S.座禅行きてえ、みたいな人もコメントやメッセージください。東京、福岡、京都、の禅寺に関しては僕はめちゃ詳しいです。

それでは明日も、良い旅と良い人生を。

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無駄な我慢は今すぐやめよう。やりたいことを今すぐやろう。

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