こんにちは、キラです。
僕と、僕の両親や祖母など「家族」の話をします。
正月三が日は、両親を温泉旅行に連れてったり、人力車に乗せたり、うまい肉や魚や酒をかっ食らうなどしてました。
お宿は、全室離れで、貸切の個室露天風呂もあるところで大変よかったです。
鬼のようにリサーチして段取りして、飯屋に至っては20件電話しましたw
旅行のアテンドは準備8割っすね。知らんけど。
「親孝行 したい時には 親はなし」みたいなしみったれた諺?が嫌いで、ご両人との別れの時には「まあめっちゃ親孝行したなオイ!」と思えるくらいアレしてやろうと思っています。
どんな両親に育てられたの?
よく「どんな両親に育てられたんですか?」とか聞かれることがあるんですが、極めて普通の両親です。
けど僕にとっては唯一無二、120点の親です。
お袋はやや気弱ですが優しく、親父はゴリラ並みに不器用でキレやすいですがどこまでもますぐで自身満々。
ほぼ真反対のコンビなのですが、まあ長いこと仲良くやってます。
僕は、親父のことなんか昔は死ぬほど嫌いでした。(今ではけっこう好きだし仲も良いです)
僕が空手を始めたのも、家で荒ぶる親父を見て「このクソゴリラが、絶対ぇ泣かす」と思ったのがきっかけだったりするんですが、空手で黒帯までとる頃には、親父の背中は少し小さく性格はやや丸くなってて、拳を向けることもなく少し切ない…というベタなアレもありましたw
今は、そういう親父の人としての面白さや、良い部分もたくさん理解できるようになって、
また、「あ~こういう所は完全に親父の遺伝だわ」と自分で感じる性質もあって(そしてそれを受け容れることもできて)、少し大人になったんだろうな、という気がしています。
家族はなぜか合わない同士
家族というのは面白いもので、なんかこう、性格とかも違って、噛み合わない場合が多いんですよね。
Twitterなどを見てると「年末年始に実家帰ると、なぜ自分がここを出たか思い出す」とか「本当にこの両親は嫌い、こうはなりたくない」などの意見が散見され「あ〜わかるなぁ」とも思うんですよ。
ただ、かといって縁を切れるわけでもなく。仮に縁を切ったとしても自分の中に家族の血を感じるわけです。たぶん一生。
そうなると最後は、結局もろもろ受け容れて飲み込んで肯定して、その上で関係と対話を続けるしかない、と。
そして面白いもので、そうし始めるとなんか噛み合うようにもなってきて、幸せ度も増すような気がするんですよね。
そういう意味で、家族や両親と向き合うことは、間違いなく自分自身と向き合うこと。
そして、少しの工夫と考え方で幸せになったりならなかったり。
変えられないものは肯定する
僕は「俺は家族を選んで生まれてきた」「親ガチャウルトラレア引いてっから」といつも言います。
まぁ半分冗談なんですが、変えられないものに関しては肯定して面白がるところから入るのがいいと思うんですよね。
もちろん、時間がかかってもいいんです。親や兄弟が死ぬまでにいい感じに考えられればいいんじゃないかな、と思います。
今家族仲が悪い人や、家族を好きになれない人も、まあゆっくり力抜いていけばいいんじゃないかと。
もちろん、ガチの「毒親」というのもいるにゃいるので、家族といえど無理に仲良くなる必要はないとも思います。
あくまで、個人的経験と感覚の話ですが。
年末年始は、ばーちゃん達に会いにもいってました。うちのばーちゃん、かわいいでしょ。
じーちゃん達は父方母方ともに逝去していますが、ばーちゃん達はまだまだ元気。86歳と93歳になりました。120まで生きようぜ。
余談なんですが、九州の人って「ばーちゃん」のイントネーションが「ばー↓ちゃん↓」(「ピーカン」「ザーサイ」とかとおなじ)ですよね?
全国的には「ばー↑ちゃん↓」(「ラーメン」とかとおなじ)が一般的っぽいけど。
僕もずっと「ばー↓ちゃん↓」の発音ですw
そんなわけで、新年とてもいいスタートだったよ、という話でした。
今年も、じっくりがんばっていきましょう。
それでは今日はこのへんで。
明日も、よい人生とよい旅を!
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