今回の記事は
という人に向けての文章。
結論としては
「大切なものはいつも足元にある」。そして「神はレモネードではなくレモンをくれる」。
つまり、「今あるもの、与えられたものを大切にしよう」
ということ。
他人が羨ましい、妬ましい人へ。
「インスタ映え」なんて言葉が流行り、どこを見ても人の無駄にキラキラした姿が目に入りやすい昨今。
そんななかで、最近改めて思うことがあります。
それは
「大切なものはいつも足元にある」
というのと
「神はレモネードではなくレモンをくれる」
ということ。
上記のように、「人を羨ましく感じるし、自分には何もないように感じる」
という人に読んでほしい話です。
「大切なものはいつも足元にある」
僕も少しずつ年をとってきて(→30歳になりました。いつもありがとう。これからもよろしく。)
今まで色んな個人・法人と関わり、相談受けたり仕事したり遊んだりして、思うこと。
それぞれの個人や企業にとっての強みや大切なものって、たいていは、ずっと前から足元にあることが多いんですよね。
でもそういうのって、最初からあまりに自然にあるから、大切に思えないし、カッコイイとも思えない(笑)
結果、「それ」を拾い上げてはポイするのを繰り返しつつ、遠くの人が持っているものを羨み、取りにいっては手に入らずに絶望する…というのを繰り返してしまう。
でも、人を羨むのをやめて、最初から足元にある「それ」を拾い上げて、渋々ながらも磨いて使い始めてみることから、その人の本当の人生が始まると思うんです。
そしていつのまにか、みすぼらしく感じていた「それ」は、人から羨ましがられるようなものになってたりする。
それが「大切なものはいつも足元にある」ということ。
「神はレモネードではなくレモンをくれる」
似たような話だし、有名かもしれないけど、もう一つ思うのが
「神はレモネードではなくレモンをくれる」
ということ。
自然に与えられるものって大抵は、パッとしなくてしょーもないもののことが多いと思うんですよ。
そのまま食べても、固くて苦くてすっぱい「レモン」みたいなもの。
大抵の人は一口かじっただけでポイしちゃいます。
でもその「レモン」に一工夫すれば「レモネード」に変えられます。冷たくて甘くて美味しい。
あらゆることは、ただ与えられるだけでなく、活かすためのひと工夫が必要だと思うんです。
その工夫ができるようになれば、人も自分も幸せにできるかも。
てなわけで、改めてまとめると、今回の記事は
他人がとにかく羨ましい、妬ましい。
自分には何もないように感じる…
という人に向けての文章。
結論としては
「大切なものはいつも足元にある」。そして「神はレモネードではなくレモンをくれる」。
つまり、「今あるもの、与えられたものを大切にしよう」
ということでした。
殴り書いた長文読んでくださり、感謝します。
あなたの「足元」にある”それ”と、与えられた「レモン」について、時々は考えてみても良いかも。
この文章が、あなたの人生をほんのすこしでも良くしてくれたら、嬉しいです。
それでは明日も、よい人生とよい旅を。
他人がとにかく羨ましい、妬ましい。
自分には何もないように感じる…