こんにちは、キラです。
メンタリストDaiGo氏の「生活保護の人とホームレスは自分に得ないし社会にいらない」発言がありました。
「生活保護受給者やホームレスは自分にとって得がないから、彼らを食わすくらいなら自分の好きな猫を救え」と。
これって「ユダヤ人は俺たちにとって邪魔だしいらない、なんか金儲けもうまくてムカつくし処分しよう」と言ったナチズムと同じだな?と僕は感じました。
現在の自分の損得だけで人間を「いらない」と言い切る考えかたは、あまりにも貧しいと思うわけです。
ハリーポッターも生活保護から生まれた
DaiGo氏は「生活保護受給者はいらない」と言うけど、
例えばJ・K・ローリング氏も『ハリー・ポッター 賢者の石』書いてる時は生活保護受給してたんすよ。
(彼女がそれを書いていた、エディンバラの「エレファント・カフェ」にも行きました。内装もコーヒーも値段もめちゃ普通のカフェでしたw)
『ハリー・ポッター』の小説を楽しんだ経験があって身近にも弱者がいる僕は、税金が生活保護やホームレス救済に使われるのは大賛成です。
これも結局、「僕にとっての得」の話っぽいですが、こういうのが世界には無限にあると思っていて、自分には関係なくても、ある人が他の人を幸せにしてることはいっぱいあると思うのです。
そしてもちろん、誰も幸せにしていなかったとしても、全く頑張ってなかったとしても、その人の人間的価値が無いということではありません。
僕にも嫌いな人は居るけど、いかなる人も「要らない」なんて言われるべきじゃない。
誰もが「いらない」と言われる可能性がある
DaiGo氏の「人間は自分の利益にならない相手を処刑して生きてきたしそれで良くない?」の発言と考えがアリになるなら、
「パンデミック中に五輪で感染拡大させた日本人処刑してよくない?」
もアリになってしまう。
氏は、自分が「いらないから処刑”される”」立場になることを考えていない。
強い人はみな優しい
「人間、努力すればどんな状況からでも這い上がれる」というのは僕もそう思うし、DaiGo氏もそうしてきたんだと思うんですが、
這い上がって成功した結果が「弱者や自分の利益にならない者は不要」というのはちょっと悲しすぎる気はします。
「強い人はみな優しい」。
『バガボンド』で沢庵和尚が言っていた言葉は折に触れて見返したいです。
もちろん、DaiGo氏の当該発言は「辛口で答える」という企画ライブの中でのモノというのは僕も把握してます。
その上でも、オープンな場では言っちゃいけないラインを超えてるんじゃないかと思うわけです。
DaiGo氏、大きな相手にも容赦なく噛み付くところがかっこいい人なので、弱者イジメなんてしてほしくない。
「努力できる」のも運と才能。
ついでに、努力について。
「ホームレスや生活保護受給者は要らない」発言は「そうなったのは自己責任。自分で何とかしろ」という考えも基礎にありそうです。
ただ、努力できること自体、与えられた特性や環境によるものが多く、ほとんど努力できず沈んでいく人もいるのが現実。
そういう人も救うのが社会の役割だと、僕は思います。
僕は、努力も勉強も好きです。
それが結果につながるのはもっと好きです。
正直僕も、日本でホームレスや生活保護受給くらいから始めるなら何とでもなると思ってます。
しかし、もし自分が、
親から虐待されて育っていたり、
紛争地域の少年兵だったり、
戸籍のない中国の貧しい農家の子だったり、
インドの不可触民(ダリット)だったりしたら、
多分こうはなってません。
世界中を旅して、各地で「俺、もしここで生まれて育ったらどんな人になってたかな」と想像するのが好きなんですが、たぶんどこでも全く別の人になっただろうな…と思うんですね。
つまり、僕の今の良い状況は、99%運で手に入れたと思ってます。
「努力ができる」という特性すら、両親や周りの人や社会が与えてくれたモノだと思っているんです。
結局、お金のあるなしなんて、そういう運の結果に「資本主義経済にうまく適応できたか否か」だけの話なので、
それだけで人そのものの価値を問うのは違うよね、と。
僕自身も、ちょっと仕事できるようになったり金増えたりしても、人としての価値は変わらんな?俺は生まれたときから価値があるわい!と思ってた矢先のこういう話だったんで、いろいろ書いてみました。
強くて優しい人でありたいです。
今日はこのへんで!
明日も、よい人生とよい旅を!