やっぱ、教育ってのは、視野や選択肢を与えることだよね、という話。
奨学金の返済問題の記事を読んで思う。
もう自分には関係のない話だけど…
「奨学金でなく学生ローンだ。学生可哀想」とか、
「でも義務教育は中学までだから自己責任じゃね?」とか、
どのご意見も、実に御尤も。
ただ、問題の根本は、
「学生自身が、教育の中で”自分で考える力”と”選択肢”を得られなかったこと」
にあると思うんだ。
「大学行く必要あんのか?働いた後じゃだめ?」とか
「どうして、奨学金がもらえんの?仕組みどうなってんの?」
という疑問を学生自身が持たなかった時点で、
教育としては失敗だと思う。
(ある人々にとっては「成功」とも言えるか)
10代の頃は親と周りの雰囲気に流されて大学行って、
よくわかんないまんま奨学金借りたら借金残って、
就職先はあんま稼げるとこじゃないし、人生楽しくねえなあ…
みたいなことになる。
もっと、「大学行かなくていいよ俺は」とか
「3年くらいニートする!」とか
「俺はこれを仕事にしたい」って、
10代の頃からいろいろ選択肢あっていいよね。
大学行く以外の人間を、OutsiderとかDropOuter扱いしなくていい。
そしてそれをノリで実行させてあげる環境があっていい。
大きくしくじっても、若ければ若いほど修正は効くし。
最悪を防ぐセーフティネットだけ、大人が引いてあげて。
そして、この問題のさらに根本は多分、
日本という国の「ソフトウェアのアップデート」の遅さにあるんだ。
つまりは、思考停止していて変化に弱い、という問題。
時代はどんどん変わるのに、国の法や制度、システム、人の意識が追いついていない。
まああまりに変えすぎてもアレなので、バランスの問題ですが。
結果として、それらしい教育を受けても、現代の社会に最適化できてない人間
(今の金融資本主義経済下なら、稼げないし視野も狭い人間)
が出来上がる、なんてことになる。
まあ、ぐちゃぐちゃ言っててもしゃーないので、
まずは個人がもっと変化への対応力を付ける必要がありそうね。
具体的には、現場現物現実に触れて、PDCAサイクルをぐるぐる回すこと。
PCや机だけにかじりついてないで、リアルなヒトやブツに体当たりしてくこと。
ちょっと長くなったなあ。大学中退者のひとりごとでした。
それでは明日も、よい人生と良い旅を。
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